十和田市

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シーン3 智恵子との出会い 結婚

"明治19年(1886年) 長沼智恵子

福島県安達郡油井村(現在の二本松市油井)で生まれる"

 

智恵子は、福島県の油井村、今の二本松市の、

大きな造り酒屋の長女でした。

幼い頃から優秀な成績で、

福島高等女学校から日本女子大学校に入学しました。

女子大学校では、テニス、自転車

そして油絵に興味を持ち、

卒業しても故郷に帰らず、

東京に残って、絵の勉強を続けていました。

八重と同じく、女子大学校の先輩だった、

平塚らいてうのすすめで、

女性だけの雑誌、『青鞜』のメンバーに入り、

その最初の号の表紙絵を描き、評判になっていました。

数日後、

東京千駄木の光雲の家の庭に作られた、

光太郎のアトリエで

二人は初めて会うことになります。

光太郎、八重、

そして智恵子が向かい合って、紅茶を飲んでいます。

 

長沼さんは、絵をおかきになるとか…。

どのような絵を?

 

そのうちに、お見せしますわ。

それは、楽しみだ。

 

間に入った八重が、

特に気をつかわなくても、

二人の話は、つきることは、ありません。

ティーカップを、かたむけながら、

ふと、智恵子が言いました。

 

僕は、芸術界の絶対の自由を求めている。

人が『緑色の太陽』を描いても、

僕は、これを非なりと言わないつもりである…。

 

それは、僕が書いた『緑色の太陽』じゃありませんか!

 

はい。

私、この文章に、とても感動したんです。

 

それはどうも。

 

芸術家は、自分の感じたままを、表現すればいい。

それって、人生でも、同じではありませんか?

 

えっ?

 

世の中の習慣なんて

どうせ、人間の作ったものでしょう。

 

それにしばられて、自分の心を偽って、くらすのは、

つまらないことですわ。

 

え、ええ…。

 

たった一度きりしかない、人生ですもの。

わたくしの一生は、

わたくしが、決めればいいと、思っています。

 

なんて強い人なんだ…。

 

"大正3年(1914年)

光太郎 智恵子 結婚"

 

二人は,お互いに惹かれあい、

智恵子は、故郷で持ち上がっていた縁談を断り、

光太郎も、お酒に溺れる生活をきっぱりとやめました。

 

二人のために、光雲が、

新しいアトリエを、近所に建ててくれました。

彫刻に、詩に、新しい芸術を

智恵子と二人で作り上げていこうという

強い決意を、光太郎は高らかにうたいます。

 

「道程」

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る

ああ、自然よ

父よ

僕を一人立ちにさせた広大な父よ

僕から目を離さないで守る事をせよ

常に父の気魄を僕に充たせよ

この遠い道程のため

この遠い道程のため

 

光太郎は彫刻や詩を作り、

智恵子は油絵を描き、

お互いをしばり付けない、新しい生活を始めました。

 

智恵さん、ただいま。

 

おかえりなさい。

 

これ、買ってきたよ。

 

なあに?

 

レモンだよ。

 

紅茶に入れると美味しいんだ。

 

まあ。

 

光太郎が帰ってくるまで、

絵を描いていた智恵子は、

着物にたすきがけ、前かけをしています。

 

ナイフでレモンを切った智恵子は、

何を思ったか、

そのまま輪切りにしたレモンを口に運びました。

 

このまま食べても、おいしいわ。

 

本当かい?

 

うわっ!

 

すっぱい!

 

アトリエに、二人の笑い声がひびきます。

しかし、それはつかの間の幸せでした。

 

画家 柳敬助夫妻の紹介で長沼智恵子と出会い、創作意欲をかき立てられた光太郎は、

代表作を発表する。

 

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