十和田市

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シーン4 智恵子の死 そして戦争

やがて、光太郎の芸術は、

しだいに、世の中に認められていきました。

彫刻の注文が来るようになり、

草野心平、佐藤春夫、宮澤賢治ら、

年下の友人が訪ねてくるようになりました。

彼らは、光太郎の詩や文章を、

自分たちの雑誌に、きそって載せました。

しかし、そんな光太郎を見る、

智恵子の目は、どこか、さびしそうでした。

世の中に認められていく光太郎に対し、

智恵子の絵の勉強は、なかなか進まなかったのです。

そんなある日のことです。

智恵子のアトリエに通じる、

階段をのぼりながら、

光太郎が声をかけました。

 

智恵さん。

 

返事が、ありません。

 

智恵さん。

 

あっ!

 

智恵子がナイフを手にし、

 

描きかけのキャンパスを切り裂いているのです。

 

智恵さん、何をしているんだ!

 

光太郎は、あわてて、後ろから、

智恵子の肩に、手をかけました。

智恵子は、ナイフを取り落して、

ぼうぜんとした様子です。

 

思うような、色が、出せないの。

ものの形を、デザインしたりするのは、

得意な智恵子ですが、

油絵の具で、

色をぬるのを、少し苦手としていたのです。

 

そんなことはない。

これだって、いい絵じゃないか。

 

ふりかえった智恵子の眼は、涙にぬれています。

 

少し、根をつめすぎだ。

つかれていては、いい絵が描けないよ。

 

ふと、智恵子は、窓の外に、目をやりました。

 

…東京には、空がない…。

こんな空は、ほんとの空じゃないわ…。

 

絵の製作にゆきづまると、

 

智恵子は、よく、故郷の油井村に帰り、

目の前に立つ、安達太良山、

そして、その上に広がる、果てしない青い空を見ては、

元気をとりもどしていたのです。

 

また、油井の家に、行ってくるといい。

そうするわ。ごめんなさい。

 

しかし、昭和4年(1929年)に、

智恵子の実家の造り酒屋が破産してしまいます。

智恵子は帰る家を失いました。

そして、だんだん精神的に、

不安定になっていったのです。

 

このごろ、眠れないの…。

目の前に、赤や青い光がちらついて見えるの…。

 

智恵さん…。

 

ある朝、智恵子は、目を覚ましませんでした。

 

智恵さん!智恵さん!

 

光太郎が枕元に目をやると、

最近買ったばかりの睡眠薬の瓶が、

空になって転がっています。

 

光太郎や光雲に当てた、

長い手紙も置いてありました。

 

これは…。

 

幸い一命はとりとめましたが、

智恵子は夢の世界の人になってしまいました。

 

光太郎がいくら話しかけても、

返事をせずに遠くを見つめていたり、

アトリエの外に飛び出して、大声で叫んだり…。

お母さんや、妹が居る、

千葉の九十九里浜の、美しい自然の中なら、

良くなるかもしれない。

 

智恵さん、

千葉に行こう。

 

それでも智恵子の心の病気は

一向に良くなりません。

 

智恵子は、東京の病院に入院します。

病院では、看護師をしている姪の春子が

付き添って世話をしてくれ、

 

騒ぐことは少なくなりました。

そして、子どもの使うおり紙を、

はさみで切って、別の紙に、のりではりつける、

「紙絵」を、作るようになりました。

光太郎が、お見舞いに来ると、作った紙絵を見せます。

 

おばさまは、

夢中で紙ばかり、切っていらっしゃるんですよ。

 

はじめは、模様のようなものだったのですけど、

だんだん花や動物、

今では、毎日のご飯のおかずを、

紙絵にしないうちは、お食べにならないんです。

 

智恵さん、すごいよ、これ。

 

驚いている光太郎を見て

智恵子はとても満足そうでした。

 

油絵では、うまく表せなかった「美」が、

紙絵では、智恵子の思い通りに、表わせていたのです。

しかし、もともと丈夫でなかった智恵子の体は、

どんどん弱っていきました。

智恵子は「結核」という病気にもかかっていたのです。

 

おじさま、おばさまが…、おばさまが…。

 

光太郎が病室にかけこむと、

 

智恵子は荒い息をはきながら

ねかされていました。

 

智恵さんっ!

 

かけこんできた光太郎に、

智恵子は、だまって、手を差し出してきました。

 

その手を握りながら、光太郎がこたえます。

 

智恵さん

死んじゃだめだ。

 

智恵さんがいなくなったら、僕は…。

智恵さんの好きなレモンだよ。

 

智恵子は、かすかに笑みをうかべ、

皮のついたままレモンをかじりました。

光太郎の手を、にぎっていた智恵子の

もう片方の手から、すっと力がぬけました。

 

智恵さん

智恵さん

 

"昭和13年(1938年)10月5日

智恵子 死去 (52歳)"

 

白いカーテンから差し込む陽の光が

優しく智恵子をつつみこんでいます。

やがて、時代は、

泥沼のような、戦争へと、進んでいきました。

智恵子を失い、ぽっかりとあいた心の穴をうめるように、

光太郎は、すすんで、世の中と、かかわろうとしました。

戦争で、すさみきった人々の心を、

奮い立たせようとする詩を、たくさん書いたのです。

戦場で、工場で、

多くの若者が、その詩に勇気づけられました。

しかし、その若者たちの多くは、

銃弾や爆撃にたおれていきました。

智恵子とすごした、想い出深い光太郎のアトリエも、

空襲の爆撃で、灰になってしまいました。

 

世の中に認められていく光太郎に対し、智恵子の絵の勉強は進まない。さらに実家が破産し、智恵子の心は夢の世界に、身体は結核に侵されていく。

 

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