十和田市

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シーン7 乙女の像

東京では、光太郎の弟の豊周、谷口らが

光太郎のために、あれこれと準備をしています。

製作場所は、

中西利雄の未亡人が、

快くアトリエを貸してくれました。

 

菊池さん

助手をしてくれる彫刻家を、探そうと思うんですが。

 

心当たりがあります。

青森県出身の若い彫刻家で

小坂圭二君に声をかけています。

モデルは、この女性

藤井照子さんで、どうでしょう。

 

いいですね。

 

秋になり、東京での準備が整い

光太郎、旅立ちの日です。

 

先生

 

半べそをかいているのは、隆です。

 

なあに、隆君

 

この仕事が終わったら、また帰ってくるよ。

 

本当か?

 

本当だとも。

 

留守の間、小屋の手入れを、たのむよ。

 

わかった!

 

上京した光太郎は、さっそく、

中西家のアトリエを借り、製作を始めました。

 

女性のもつ力強さ

生きる喜びを、裸婦像で表現したい。

大地に立つ母なる姿…。

 

いいですね。それでいきましょう。

 

光太郎の提案を

津島知事が、すんなりと受け入れたのです。

 

彫刻は、青森県との話し合いで、

「十和田国立公園功労者記念碑のための裸婦像」

と名付けられました。

 

小坂君、粘土を。

 

はい。

 

少し離れた机で、粘土をこねていた

助手の小坂圭二が

粘土のかたまりを板にのせ、光太郎に手渡します。

 

さすがは高村先生だ。

もしかしたら、足の一本くらいは、

僕に作らせてくれるかと思ったが、

全部、ご自分で、やってしまわれるおつもりらしい。

 

彫刻の骨組みに針金を巻き付けたり、

硬い粘土をこねて、やわらかくしたり、

といった力仕事は、若い小坂の手を借りましたが、

それ以外は、本当に一人で作っているのです。

 

(咳)ゴホッ、ゴホ、ゴホッ。

 

先生、大丈夫ですか?

 

モデルの藤井照子が、心配そうにききました。

 

なあに、大丈夫さ。

もともと、肺の血管が弱いだけだ。

 

実際には、光太郎の結核は、かなり進行していました。

 

かたわらには、作りかけの像が建っています。

高さ2mを越す、大きな像です。

その顔には、布が巻きつけられてあります。

光太郎は、結局、完成するまで、

ほとんど誰にも、その顔を見せませんでした。

 

深夜のアトリエです。

窓から月の光が差し込んでいます。

光太郎は、ベッドから起き出し、

作りかけの像を見上げました。

 

時間が、ない。

 

( 咳 )ゴホ ゴホ

 

智恵さん、力を、貸してくれ。

 

光太郎は、像のわきの脚立にのぼり

 

顔に巻いてあったぬのを、取り払いました。

 

( 咳 )ゴホ ゴホ

 

休みなく、へらを動かしながら、光太郎は、

いろいろなことを思い出していました。

 

幼いころ、光雲に、

はじめて彫刻刀を、もらったときのこと。

パリで見た、ロダンの彫刻。

智恵子との出会い。

智恵子との幸せな日々。

智恵子と見た、安達太良山の「ほんとの空」

智恵子の死。

空襲で燃えるアトリエ。

雪にうもれた、太田村の山小屋。

そして、十和田湖の風景。

どれくらい、たったのでしょうか。

 

できた。

 

"昭和28年(1953年)10月21日

十和田湖畔"

 

彫刻は、鋳造され、十和田湖畔、

谷口が設計した公園の中央に据え付けられ、

紅白の幕がかぶせられています。

大町桂月の孫、公子が、

お母さんに手を添えられて、

紅白の幕につながれたひもを引くと、

像が、そのすがたをあらわしました。

 

おおっ!

これはすばらしい!

なんと、斬新な…。

 

全く同じ形をした、二体の裸婦像が、

手をさしのべて、向かい合っています。

二体の裸婦像は、どちらも、少し前のめりになっており、

全体として、大きなピラミッドのような三角形を、

かたちづくっています。

 

あの顔は…。

智恵子さん…。

元気だったころに智恵子に、会ったことがある人は、

皆、そのように感じました。

光太郎も、感慨深げです。

 

光太郎のあいさつが、はじまりました。

 

あの像は、同じものを、

わざと二つ、向かい合わせにしてみました。

それは、初めて十和田湖に来たときに、

湖に自分の顔がうつっているのを見て、考えました。

人間の、心の中、

内部を見る、そういう感じを受けたのです。

片方はもう片方の内部で、

片方はもう片方の、外部なのです。

 

この像の製作にかかわった、すべての人たちは、

やはり光太郎に頼んでよかったと、

心の底から思っていました。

 

智恵子と同じ結核で体の弱っていた光太郎だが、彫刻の骨組みに針金を巻き付けたり、硬い粘土をこねてやわらかくしたり、といった力仕事は若い助手の小坂圭二の力を借りて、制作を進めた。

 

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