
明治35年(1902年)5月4日、三戸郡三戸町字蛇沼に生まれ、8歳の時から十和田市大字滝沢字赤伏で育った 鏡岩善四郎(かがみいわ ぜんしろう) は、郷土が誇る偉大な大相撲力士です。
大正10年(1921年)に粂川部屋へ入門し、力強い相撲で着実に頭角を現しました。そして昭和11年(1936年)、ついに 大関 へと昇進。堂々たる取り口で土俵を沸かせました。
昭和14年(1939年)5月場所を最後に現役を引退した後は、地元に戻り 三本木農学校(現・三本木農業恵拓高校)相撲部 の選手強化に尽力。昭和25年(1950年)8月14日に58歳で逝去するまで、豪放磊落で無欲恬淡、人情味あふれる人柄で多くの人々に慕われました。
その偉業と徳を讃え、現在、十和田市相撲場の敷地内には 銅像と顕彰碑 が建立されています。碑文には「豪放磊落 無欲恬淡 人情家 猛牛鏡岩の徳を讃え」と刻まれ、今もなお地域の人々に「努力と挑戦の象徴」として語り継がれています。