太素塚(たいそづか)|新渡戸家三代の功績を伝える十和田の歴史史跡

青森県十和田市の歴史史跡〈太素塚〉は、開拓者・新渡戸傳と新渡戸家三代の墓所や銅像、旧文庫資料、新渡戸記念館を巡れるスポット。地域のルーツと文化遺産に触れられ、静かな歴史散歩に最適です。

大きな鳥居が象徴的な太素塚の正面

太素塚のはじまり

太素塚は、1871年(明治4年)に亡くなった新渡戸傳(にとべ・つとう)が、その遺言の通り埋葬されたお墓で、現在ではその墓を中心とした一帯を「太素塚」と呼んでいます。「太素(たいそ)」は、新渡戸傳が使っていた雅号(がごう)で、本名とは別に持つ風流な別名のことです。

新渡戸傳は、生前の1866年(慶応2年)、73歳のときに、大阪で墓石として使用する目的でお気に入りの石を購入し、自ら「太素塚」と書いて墓石に刻ませました。この墓石は、大阪から船で日本海側をまわって野辺地まで運ばれ、そこから大八車(だいはちぐるま)という、江戸時代から明治時代にかけて広く使われた大きな人力荷車を使って三本木(現在の十和田市)まで運ばれ、三本木原を一望できる小高い丘に設置されます。

傳が自ら選んだこの太素塚の場所には、ヒノキやスギ、マツ、クリなど約300本の木も植えられます。

新渡戸傳(にとべ つとう)像

新渡戸家三代の墓・銅像、移設の歩み

1872年(明治5年)、傳の孫・七郎は、安野清兵衛や高岡権十郎といった当時の三本木の有志たちと協力し、父・十次郎や新渡戸家、そして三本木原の開拓に貢献した人々を祀(まつ)るための位牌堂「照瑶堂(しょうようどう)」を稲生町二丁目に建てました(「照瑶」は十次郎の雅号です)。この建物は後に、太素塚内の傳の墓の左側に移されています。

1925年(大正14年)には、新渡戸傳の孫であり、十次郎の三男である新渡戸稲造博士が、三本木に住む従弟たち(太田常利、新渡戸訓)と協力して、太素塚境内に「新渡戸文庫」を設立しました。文庫には稲造自身の蔵書や代々受け継がれてきた文化遺産など約8000点が収め、開拓者たちの心を育み、地域文化の開拓に努めました。文庫は1965年(昭和40年)に建築家・生田勉の設計によって改築され、開拓の古記録類や伝来の武具甲冑、兵法資料、稲造の遺品などを展示する博物館施設「新渡戸記念館」となっています。(所蔵品は市指定有形文化財第8号)

1933年(昭和8年)には、稲造博士が亡くなり、その遺髪が傳の墓の右側に分葬され、記念の墓が建てられました。さらに1954年(昭和29年)には、盛岡の久昌寺から十次郎の遺骨が移され、照瑶堂の跡地に墓が建てられました。その際、照瑶堂は傳の墓の右奥に移動しました。

1983年(昭和58年)には、地元の有志により「顕彰堂(けんしょうどう)」という新しいお堂が寄進され、古い照瑶堂は、明治初期の貴重な建築物として、現在は保護のために鞘堂(さやどう)という覆い屋をかけ、太素塚の北側に保存されています。

太素塚の中央には、新渡戸三代(傳・十次郎・稲造)の銅像が並んでいます。これらの像は、野辺地出身の彫刻家・小坂圭二氏によって制作されたものです。小坂氏は、彫刻家・高村光太郎の助手を務めた経験を持ち、十和田湖畔に立つ「乙女の像」の制作にも携わったことで知られています。

まず1958年(昭和33年)に、三本木開拓100年を記念して新渡戸傳の銅像が建立されました。続いて1983年には、新渡戸稲造博士が五千円札の肖像に選ばれたことを記念し、小坂氏が手がけた稲造博士の銅像が、市内在住の直町一三郎氏の寄贈により加えられました。そして1989年(平成元年)には、十次郎の銅像も同氏の手によって完成し、現在では三代の偉業を称える銅像と墓がそろい、太素塚の中心を静かに見守っています。

新渡戸稲造像

太素塚の鳥居

太素塚の入り口には、ひときわ大きな鳥居のような門が建っています。一見すると神社の鳥居のようにも見えますが、実際には宗教施設としての鳥居ではありません。これは、明治時代に地域の人々が新渡戸傳を三本木原開拓の祖として敬い、太素塚を神社としてまつろうと考えて建てたものです。最終的に神社にはならなかったものの、その思いは形として残り、今では新渡戸三代の墓所を中心とした公園の入口に立つ、功績を称える記念碑的な「鳥居型の門」として受け継がれています。

この鳥居が初めて建てられたのは、明治時代の末から大正初期とされ、当時は木製で、大きなしめ縄が下がる立派なものでした。その後、1922年(大正11年)にはコンクリート製の鳥居に建て替えられましたが、1968年(昭和43年)の十勝沖地震で倒壊してしまいます。地域のシンボルとして市民に親しまれていたことから、同年中に地元有志の寄付により再建され、1986年(昭和61年)には鋼板を巻く補強工事も施されました。

現在の鳥居は高さ17.5メートルを誇り、その再建や補強の経緯は、門の脇に設置された石碑に記されています。太素塚を訪れる人々を迎えるこの堂々たる鳥居は、今もなお地域の誇りとして立ち続けています。

太素塚から見た産馬通り

太素祭

太素祭(たいそさい)は、かつて「不毛の地」と呼ばれた三本木原に稲生川の水を引き、十和田市の発展の礎を築いた開拓の祖・新渡戸傳(にとべ つとう)をはじめとする先人たちの労苦に感謝し、その功績をたたえる祭礼です。太素塚に人々が集い、水の恵みを喜び合いながら、豊作と地域の繁栄を祈願する行事として受け継がれています。

1859年(安政6年)5月4日に稲生川が引かれ、1871年(明治4年)9月27日に新渡戸傳が逝去、そして1872年(明治5年)に太素祭が始まります。

当初、太素祭は新渡戸傳の命日である9月27日に行われていましたが、1949年(昭和24年)からは、町のさらなる発展を願い、春の祭りとして開催されるようになりました。それ以降は、稲生川上水の記念日である5月4日を中心に、毎年5月3日・4日・5日の3日間、太素塚の境内で盛大に行われています。

昭和50年・60年代の祭りは、今よりもずっと賑やかで、太素塚の正面道路である産馬通りには、鳥居から現在の吉田薬局のあたりまでを歩行者天国として、多くの露店が立ち並び、子どもたちは駒踊りを踊るなど、家族連れで楽しめる地元の一大イベントとなっていました。

こうした市民に親しまれた太素祭は、2015年まで十和田市・十和田商工会議所・十和田市観光協会・太素顕彰会の主催で毎年開催されてきましたが、時代の移り変わりとともに形を変え、現在は太素塚の敷地内で執り行われています。

太素祭2025 | 青森県十和田市

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