十和田神社|十和田湖の歴史・信仰と自然に出会う旅ガイド

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十和田神社
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十和田神社|十和田湖の歴史・信仰と自然に出会う旅ガイド

説明文

十和田湖の東湖畔には、自然、芸術、そして信仰が融合した数々の見どころが点在しています。その中でも、十和田神社(とわだじんじゃ)は特に神聖な雰囲気に包まれた場所として知られています。

青森県十和田市の休屋(やすみや)地区にあるこの神社は、現在、日本武尊(やまとたけるのみこと)を祭神として祀っており、社伝によれば807年(大同2年)、坂上田村麻呂によって創建されたと伝えられています。ただし、十和田湖の信仰自体は、室町時代頃に広まった「十和田湖伝説」に基づくものとされ、神社の成立もこの時期とする説もあります。

神社の境内は、荘厳な杉並木や苔むした石段に囲まれ、今もなお清らかな空気が漂う神秘的な空間です。かつては修験者たちの修行の場として栄え、背後には「十湾寺(とうわんじ)」と呼ばれる熊野系の修験寺院が建てられており、江戸時代には「十和田山青龍大権現」と称され、龍神を祀る霊場として南部藩を代表する巡礼地へと発展しました。

十和田神社を中心とする信仰は「十和田信仰」と呼ばれ、十和田湖を神そのものとする自然崇拝、青龍大権現や南祖坊など霊的存在への信仰と結びつき、北東北一帯に広まりました。当時は「十和田神社」や遥拝所が各地に点在し、湖畔のこの場所がその中心とされていました。

地域の人々は親しみを込めてこの神社を「十和田様」と呼び、険しい山道や狭谷を越えて参詣しました。境内の奥にはかつて「占い場(うらないば)」と呼ばれる神聖な場所があり、湖面に紙のこより「オヒネリ」を投じて吉凶を占う風習がありました。オヒネリが水に沈めば吉、解けて浮かべば凶とされ、信仰の的となっていました。現在、占い場への陸路は封鎖されており、湖面からのアクセス(ボート等)のみが可能です。

明治時代になると、神仏分離令によって仏教的要素は排除され、「青龍大権現」や「南祖坊」は奥地の神泉苑へと移されました。かつて本殿の左側に祀られていた熊野三社権現神も、現在は右側の小祠に移されています。

現在の社殿は1941年(昭和16年)に再建されたもので、約8年の歳月をかけて造られました。青森ヒバの白木造りで、厄除けの獅子や夢をかなえるバク、翁と嫗(おうな)、壁面には鯉、朱雀、鳳凰など精巧な彫刻が施され、建築美としても見ごたえがあります。

また、十和田神社は現代では「パワースポット」としても知られ、自然のエネルギーを感じながら、心身の癒やし、運気向上、厄除けを願う多くの参拝者が訪れています。歴史と自然が調和するこの静かな空間は、心を整えたい方にとって特におすすめの場所です。

毎年、旧暦の5月14日には「お籠り祭」、15日には「大祭」が執り行われ、地元のみならず遠方からの信者も多く訪れ、神社は大いに賑わいます。

 

所在地

〒034-0301 青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋486

撮影日

2021年6月13日

撮影者

米内山和正

撮影依頼はこちらをご覧ください

写真撮影 : 米内山 和正

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観光スポット 

十和田市官庁街通り(駒街道)/ 青森県十和田市

十和田市官庁街通り

「十和田市官庁街通り」は、十和田市役所をはじめ、市や県、国のさまざまな行政機関が並んでいることから、その名前がつけられました。市民にとっては、十和田市のシンボルともいえる通りで、親しみを込めて利用されています。

この通りは、歩道と車道を合わせると幅が約36メートル、長さは約1.1キロメートルあり、161本の松の木と155本の桜の木が並んでいます。碁盤の目のように整った十和田市の街の中でも、とくに美しいと評判の道で、散歩道としても楽しまれています。通り沿いには馬のオブジェをはじめとするたくさんの野外アート作品が設置されています。

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十和田市現代美術館 / 青森県十和田市

十和田市現代美術館

十和田市現代美術館は、国内外で活躍する33名のアーティストによる、建築や空間と一体となった38作品を展示している現代アートの拠点です。展示室にとどまらず、中庭や屋上、階段室など、館内のさまざまな空間にアートが展開されており、訪れる人に新たな発見や感動を提供します。また、美術館前に広がる官庁街通り約1kmのエリアには、「アート広場」や「アートファニチャー(アートベンチ)」が設置されており、まち全体がひとつの美術館のように楽しめる構成になっています。

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十和田市馬事公苑駒っこランド

十和田市馬事公苑 駒っこランド

十和田市は、かつて南部馬の産地として栄え、明治時代には軍馬補充部が置かれるなど、馬と深い関わりを持つ地域です。その歴史と文化を今に伝える施設が「十和田市馬事公苑 駒っこランド」です。

「馬と人の交歓リゾート」をテーマにしたこの施設では、実際に馬とふれあえる体験ができ、多くの人に親しまれています。苑内には、餌やりや引き馬体験ができる「駒っこ牧場」をはじめ、馬のモニュメントを取り入れた大型遊具、地場産品の展示や販売、休憩スペースを備えた「交流館」など、家族で楽しめる設備が充実しています。

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八甲田連邦

八甲田連邦 見どころ | Hakkoda Mountain Range

「八甲田山(はっこうださん)」という名前は、特定の山を指すのではなく、複数の山々をまとめた呼び方です。具体的には、大岳(おおだけ)、田茂萢岳(たもやちだけ)、赤倉岳(あかくらだけ)、硫黄岳(いおうだけ)、小岳(こだけ)、高田大岳(たかだおおだけ)などの「北八甲田」と、櫛ヶ峰(くしがみね)、駒ヶ峰(こまがみね)、乗鞍岳(のりくらだけ)などの「南八甲田」からなる、20以上の山々を指しています。

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奥入瀬渓流

奥入瀬渓流 見どころ | Oirase Gorge | 新緑・紅葉の名所

十和田湖から流れる唯一の河川が奥入瀬川です。日本を代表する景勝地で、奥に入るほど「瀬」が多くなることから「奥入瀬」と名づけれたとされています。

奥入瀬川は、約75kmの長さを持ち、八戸市の近くで太平洋に流れ込み、この川の十和田湖子ノ口から焼山の十和田橋までの約14kmを「奥入瀬渓流」と呼びます。特別名勝および天然記念物に指定されている文化財で、自然公園法特別保護地区として特に保全されています。渓流沿いに多数の滝が点在していることから「瀑布街道」とも呼ばれます。

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十和田市官庁街通り | 馬と蛙のオブジェ

十和田市と馬の歴史について

青森県十和田市の馬産地としての歴史背景
青森県十和田市を紹介する際、「青森県十和田市は馬の馬産地として有名で・・・・」と言いますが、今回は、十和田市と馬の歴史についてご紹介します。はるか昔の十和田市周辺はどのような環境で先祖たちはどのような生活を送っていたのでしょうか。

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太素塚

太素塚(たいそづか)

太素塚は、1871年(明治4年)に新渡戸傳(にとべ・つとう)が亡くなった際に建てられたお墓で、現在ではその墓を中心とした一帯を「太素塚」と呼んでいます。「太素(たいそ)」は、新渡戸傳が使っていた雅号(がごう)で、本名とは別に持つ風流な別名のことです。

新渡戸傳は、生前の1866年(慶応2年)、73歳のときに、大阪で墓石として使用する目的でお気に入りの石を購入し、自ら「太素塚」と書いて墓石に刻ませました。この墓石は、大阪から船で日本海側をまわって野辺地まで運ばれ、そこから大八車(だいはちぐるま)という、江戸時代から明治時代にかけて広く使われた大きな人力荷車を使って三本木(現在の十和田市)まで運ばれ、三本木原を一望できる小高い丘に設置されます。

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十和田湖 御鼻部山展望台

十和田湖 見どころ | Lake Towada

十和田湖(とわだこ)は、神秘の湖と言われ、青森県と秋田県にまたがる湖で、約2,000年前の火山活動で出来た、すり鉢状のくぼ地に水がたまった典型的な二重式カルデラ湖です。

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