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十和田市と馬の歴史について⑤

前回に引き続き「十和田市と馬の歴史」についてご紹介します。

前回掲載記事

「十和田市と馬の歴史について④」はこちら

国が三本木に軍馬育成所を設置して以来、この地方における馬産熱が次第に高まり、1897年(明治30年)に軍の徴発した馬は8,414頭を数え、国内第1の馬産地となり1906年(明治39年)には馬政局が設置され、馬政30年計画が樹立されました。

1908年(明治41年)には野辺地に国営種馬場が設置され、1912年(大正元年)には七戸に県立種馬育成所が設けられるなど、馬産熱は更に高まりました。

馬市の様子

第1次世界大戦後の好景気に湧いた1918年(大正7年)には、約7,000頭が取引され、1頭平均259円と最高値を記録するに至ったと当時の新聞は報道しています。

その後、大正時代から昭和の始めにかけて、世界的な不景気が影響して馬の値段も低く抑えられていましたが、再び馬市が賑わいだしたのが、太平洋戦争前の日中戦争からであり「軍馬需要」が要因でした。

軍馬の需要が伸びた事や米の値段が上がった事により、馬市の取引高はどんどん伸び、1頭80円程度の2歳馬(アングロ・ノルマン系及びアラブ系)であったものが、いきなり350円から500円にまで跳ね上がったそうです。

そして、馬セリで「軍馬御用!」の声がかかり補充部が購入するという具合で、中には1200円という高値まで上がり、(おそらく将官級の乗用馬として)落札されたものまであったそうです。

十和田商工会館前にある馬蹄のモニュメント
近くで見ると官庁街通り付近の地図になっている
位置情報 google maps

毎年11月から始まる馬市とそれに続く牛市が1ヶ月近くも開かれ、全国から集まる馬喰たちで旅館は満員となり、街の中心部は終日、馬の列で賑わい、産馬通り(太素塚がある通り)には屋台や飲み屋が立ち並び、人と馬と馬糞の臭いがムンムンとしていたそうです。

そして馬が休む宿「馬喰宿」で作る馬の餌「とな」が「手切音」で切っても切っても間に合わず「トナキリ」の音が夜明けまで続き「軍馬御用」を引き当てた馬主が料亭に上がり込んでは大振舞いしたと言います。

このように軍馬補充部が根付いた三本木は戦前まで「馬市ブーム」が続き、三本木地方の産馬を高い値段で買い上げ、多くの人を雇い、多量の物資を調達して膨大な代金と賃金を支払って、三本木町の経済発展に大きな力となりました。

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「十和田市と馬の歴史について①」はこちら

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