奥入瀬川 御幸橋の白鳥

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青森県十和田市相坂の御幸橋。

奥入瀬川に架かる橋の下。白鳥がいます。(2021年9月26日現在)

本来、白鳥は春が到来する3月下旬頃には北のシベリアへ飛び立つはずなのですが、

羽を痛めて飛べないようで、現在、個々で餌を採れてるようなのであえて保護もしないとの事。

私自身は2021年の5月から飛べない白鳥を確認しており、いつから居るのかはわかっていませんでしたが、

いただいた情報によると、2020年7月には同じ場所での存在が確認できます。

その後、いただいた情報によると、2016年頃から1羽が居て、その後3羽まで増え、1羽減り、現在の2羽になったと証言をいただいています。(2021年10月1日追記)

絆の強い白鳥

夫婦のようにオスとメスの組み合わせのことを「つがい」と言います。

白鳥は夫婦としての絆が強く、つがいになるとどちらかが死ぬまで変わることがなく、

越冬の時期が終わっても、傷ついた仲間のためにいつまでも飛び立たずに残っている性質があるようです。

御幸橋にいる白鳥にも同じ事が言え、飛べ立てない白鳥に寄り添い、2羽の白鳥が居るのではないかと思われます。

白鳥は幸運のシンボル

白鳥は、神聖な神の使いとして縁起が良いといわれており、2羽の白鳥が頭と頭をくっつけるとハートマークになる事から、つがいの白鳥を見ると、恋愛運の上昇を期待出来たり、運命のパートナーとの出会いがあると巷では評判です。

水流が少ない今年の奥入瀬川

奥入瀬川の水流源、上流にある十和田湖では、昨年2020年から2021年にかけて降雪が少なかったせいか、十和田湖から流れる 奥入瀬渓流 ~ 奥入瀬川 の水量が少なく、ご覧の写真のように、川幅が狭くなっているのが確認できます。

青森県と白鳥

白鳥は青森県の県民鳥として制定されており、毎年冬場の11月中旬から3月下旬頃まで県内のいたるところで観ることができます。

3,000kmも離れたオホーツク海やシベリアから越冬のために飛来する「白鳥」は青森県民にとってはお馴染みで、寒くなって白鳥を見れば「冬が来たな~」と思い、白鳥が飛び立つ季節が来れば「春が来たな~」と思うものです。

冬が来れば

今は2羽の白鳥ですが、寒くなる11月中旬ごろが来れば、仲間の白鳥がきっと飛来するでしょうから、今はそっと優しく遠くから見守っていてください。

御幸橋 位置情報

御幸橋由来の碑

御幸橋が架かる手前には、駐車場が整備されたポケットパークがあり、御幸橋の起源がわかる「御幸橋由来の碑」があります。1876年(明治9年)、明治天皇が日本各地を訪れる巡幸の際、それまで橋の無かったこの場所へ急ピッチで御幸橋が作られた内容が石碑に刻まれています。

【御幸橋由来の碑 – 表】

明治九年七月、明治天皇御巡幸の砌(みぎ)りに、青森縣(県)では当時相坂川には、橋が無く繰り船の渡しであったため急に架橋をすることとなり、上北郡七戸(現 七戸町)の工藤轍郎翁に「御通輦道路掛」を命ずるとともに「奥入瀬架橋取扱専務申付候事」という巌めしい辞令が交付され、六月六日大急ぎで架橋に着手し、無事七月十二日の陛下御通御に間に合ったことを記念し、「御幸橋」と命名したものである。

【御幸橋由来の碑 – 裏】

旧御幸橋は、昭和十三年に架設されたものであるが、老朽化に加えて幅員狭少のため、昭和五十九年度より架替事業に着手し、昭和六十三年八月に完成をみたものである。これを記念しポケットパークを設け、永く親しまれる橋になるよう、この碑を建立するものである。

渡船場 (とせんば)

御幸橋が架かる明治時代より以前、奥入瀬川には橋がなく、人々は浅瀬を歩いて川越をしていました。渡船場ができ、相坂~藤島および中掫~太田川間で渡し船を利用できるようになったのは、江戸時代になってからと言われています。

これらの船渡場については往時の旅人が残した記録があり、それらによると、どちらの渡船も両岸に、サンキ(3本の杭の上部を縛り、下部を土中に埋めたもの)を打ち、それに張った網を船頭が手探りながら船を進める方法であったそうです。奥入瀬川には、他にも数カ所に船渡場があったと伝えられています。

明治時代に入り、交通網の整備により順次架橋され、渡船場はその役割を終えましたが、奥入瀬川の洪水で橋が流失した時は一時的に復活していたとされています。