前回に引き続き「十和田市と馬の歴史」についてご紹介します。
前回掲載記事
「十和田市と馬の歴史について①」はこちら
「十和田市と馬の歴史について②」はこちら
馬の産業が地域に根付き、産馬組合と軍馬補充部が作られた三本木では、馬の品質を向上するべく育成会を組織し、優良馬の育成研究を行なっていきます。
1884年に(明治17年)に産馬組合が設置されて以来、軍馬補充部と密接な関係を保ちながら優良馬の改良、軍馬の育成を通し、町の発展に大いに尽くしてきました。産馬組合は馬の登録や烙印なども行い、馬の登録は生産時に烙印は馬の検査を行う総馬改めの時、2歳馬に施し、三本木の印は数字の8に似た形状でした。
南部地方は古くから名馬を産んできたとされ、当地方の馬産の盛んであった地域においては大正時代から昭和の初めにかけて、愛馬会や育成会を組織し優良馬の育成研究にあたりました。
大不動と上米田が合同で組織してから次第に他地域にも普及し始め、三本木産馬組合管内に11箇所も作られ、さらには五戸、三戸などにも作られました。
各育成会はそれぞれ、会としての規制を作り、品評会を開いて審査を受け、その優劣を競いあいました。いわば、馬のセリ市に出す前の予選会のようなもので、これを行う事で上位の成績になったものは、セリ市においても高く買い取られたそうです。
優良馬を育てる事で、セリ市で高く売る事ができる。
このように馬産業が確立し、地域は潤い、三本木が馬産地として名高い地域となっていきます。
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