2022年9月20日にオープンした十和田市地域交流センター、愛称は「とわふる」。芸術やダンス・音楽発表など文化活動の発表の場としての新拠点で、十和田市中心部・商店街エリアにある施設です。
施設内には、フリーマーケットや野外イベントが開催できる中庭とキッチンスペース付きの多目的室(108㎡)、間仕切りを収納すると最大200人の人数を収容できる大ギャラリー(209㎡)・中ギャラリー(95㎡)・小ギャラリー(50㎡)があり、音楽発表やダンス・舞台発表・講演会・作品展などの開催が可能です。
同施設でイベントを開催する等の場合、事前に予約が必要で、会場使用料は無料。 ただし入場料があるなど営利目的の場合は会場使用料が発生します。詳しくは十和田市ホームページでご確認ください。
「とわふる」の愛称は、公募により十和田市立三本木中学校2年、太田心葉さんが考えたもので、設計者は藤本壮介さん。
こちらの施設建設は、十和田市中心市街地活性化協議会が策定した2019年から2023年までに計画されている「第2期市中心市街地活性化基本計画」の主要事業の一つです。
この場所は、かつては活気で溢れていた商店街エリアで「みちのく銀行十和田支店」「エースカメラ」「小出書店」があった場所です。
観光客が多く賑わう「十和田市官庁街通り」や「十和田市現代美術館」から商店街エリアへの誘客を担う同施設は、今後の商店街エリアの賑わいと活性化の役割が期待されます。
十和田市地域交流センターとわふる小ギャラリーで『弾き語り研究会』が開催されました。
十和田市は、かつて南部馬の産地として栄え、明治時代には軍馬補充部が置かれるなど、馬と深い関わりを持つ地域です。その歴史と文化を今に伝える施設が「十和田市馬事公苑 駒っこランド」です。
「馬と人の交歓リゾート」をテーマにしたこの施設では、実際に馬とふれあえる体験ができ、多くの人に親しまれています。苑内には、餌やりや引き馬体験ができる「駒っこ牧場」をはじめ、馬のモニュメントを取り入れた大型遊具、地場産品の展示や販売、休憩スペースを備えた「交流館」など、家族で楽しめる設備が充実しています。
「八甲田山(はっこうださん)」という名前は、特定の山を指すのではなく、複数の山々をまとめた呼び方です。具体的には、大岳(おおだけ)、田茂萢岳(たもやちだけ)、赤倉岳(あかくらだけ)、硫黄岳(いおうだけ)、小岳(こだけ)、高田大岳(たかだおおだけ)などの「北八甲田」と、櫛ヶ峰(くしがみね)、駒ヶ峰(こまがみね)、乗鞍岳(のりくらだけ)などの「南八甲田」からなる、20以上の山々を指しています。
十和田湖から流れる唯一の河川が奥入瀬川です。日本を代表する景勝地で、奥に入るほど「瀬」が多くなることから「奥入瀬」と名づけれたとされています。
奥入瀬川は、約75kmの長さを持ち、八戸市の近くで太平洋に流れ込み、この川の十和田湖子ノ口から焼山の十和田橋までの約14kmを「奥入瀬渓流」と呼びます。特別名勝および天然記念物に指定されている文化財で、自然公園法特別保護地区として特に保全されています。渓流沿いに多数の滝が点在していることから「瀑布街道」とも呼ばれます。
青森県十和田市の馬産地としての歴史背景
青森県十和田市を紹介する際、「青森県十和田市は馬の馬産地として有名で・・・・」と言いますが、今回は、十和田市と馬の歴史についてご紹介します。はるか昔の十和田市周辺はどのような環境で先祖たちはどのような生活を送っていたのでしょうか。
太素塚は、1871年(明治4年)に新渡戸傳(にとべ・つとう)が亡くなった際に建てられたお墓で、現在ではその墓を中心とした一帯を「太素塚」と呼んでいます。「太素(たいそ)」は、新渡戸傳が使っていた雅号(がごう)で、本名とは別に持つ風流な別名のことです。
新渡戸傳は、生前の1866年(慶応2年)、73歳のときに、大阪で墓石として使用する目的でお気に入りの石を購入し、自ら「太素塚」と書いて墓石に刻ませました。この墓石は、大阪から船で日本海側をまわって野辺地まで運ばれ、そこから大八車(だいはちぐるま)という、江戸時代から明治時代にかけて広く使われた大きな人力荷車を使って三本木(現在の十和田市)まで運ばれ、三本木原を一望できる小高い丘に設置されます。
十和田湖(とわだこ)は、神秘の湖と言われ、青森県と秋田県にまたがる湖で、約2,000年前の火山活動で出来た、すり鉢状のくぼ地に水がたまった典型的な二重式カルデラ湖です。