十和田かるた 1977区画整然碁盤の目 | 十和田市街地区画整然 現在の市街地の道路を、碁盤の目のように整然と区画することを計画したのは、開祖である新渡戸伝翁の長男十次郎である。おおよそ100年前のことであった。その後、時の為政者が先人の計画を受継ぎ、さら…
十和田かるた 1977七五三参りは稲荷さま | 三本木稲荷神社三本木稲荷神社 新渡戸伝翁・十次郎・七郎の苦心による稲生川上水完成後 「稲の守護神」 として新しく建立した。祭神は主神倉稲魂命(うがのみたまのみこと)。 慶応元年(1865) 5月十次郎により「おみこ…
十和田かるた 1977開拓の祖新渡戸伝翁 | 太素塚新渡戸伝翁 新渡戸伝翁は盛岡藩士。 勘定奉行ののち、安政2年(1855)63才の時三本木開拓に着手した。 奥入瀬川の上流、法量から水を取り入れ、苦心の末、トンネル2か所と、人工の「稲生川」を掘り通し、…
十和田かるた 1977太素を祭る春まつり | 太素祭太素祭 荒瀑たる三本木原に開拓の鍬を入れられたのが安政2年(1855年)。 幾多の困難を乗り越え、安政6年5月4日十和田湖を源水とする奥入瀬川から取水する稲生川を完成させた。この稲生川の上水を記念し、…
十和田かるた 1977流れ豊かな稲生川稲生川 - 安政2年(1855年)、新渡戸伝翁は三本木原開拓のため、稲生川開削の大事業に着手、十和田湖を源水とする奥入瀬川から上水するために2穴堰、4,160mを掘り抜き、陸堰は、矢神と三本木まで、6…
十和田かるた 1977農協米は3万トン農協米 - 十和田市は新渡戸伝翁の開拓の偉業から始まり、多くの先人、先輩の努力によって、全国的に恵まれた田園都市として発展しつつある。特に米については、60万俵を超える生産実績を収め、我が国有数の食糧…
十和田かるた 1977もっこかついでの矢神の穴堰穴堰 - 三本木原開祖新渡戸伝翁が、稲生川掘削工事で最も苦心したのは穴堰(隧道) であった。 穴堰は鞍出山 (矢神)、 段の台山の2か所である。鉄槌と鑿を用いて掘った ずり (土) を、繩で作ったもっ…