十和田かるた 1977流れ豊かな稲生川稲生川 - 安政2年(1855年)、新渡戸伝翁は三本木原開拓のため、稲生川開削の大事業に着手、十和田湖を源水とする奥入瀬川から上水するために2穴堰、4,160mを掘り抜き、陸堰は、矢神と三本木まで、6…
十和田かるた 1977ニジマスのふるさと 白上養魚場白上養魚場 - 相坂養魚場のニジマスは、大正2年(1913年)、農商務省水産局を経由して、米国政府から譲り受けたものである。青森県に移入されたニジマス種卵は、カリフォルニア州ベイヤード孵化場で採卵した…
十和田かるた 1977念願かなって中部開発中部開発 - 十和田市の北部 (中部上北地域)に広がる500haの畑作地帯は、生産性の低い雑穀を中心とした純畑作地帯で、農家の生活は苦しかった。中部上北の南部を東流する砂土路川は三本木原台地の開発に伴…
十和田かるた 1977沼に水蓮 梅泉園梅泉園 - 県下一といわれるこの梅林は、戦時中、南方の将兵たちに梅干しの輸送がとだえているということで、故・滝沢景吉さんが、昭和17年(1942年)に戦地にいる息子さんのために植えたものである。山一面…
十和田かるた 1977農協米は3万トン農協米 - 十和田市は新渡戸伝翁の開拓の偉業から始まり、多くの先人、先輩の努力によって、全国的に恵まれた田園都市として発展しつつある。特に米については、60万俵を超える生産実績を収め、我が国有数の食糧…
十和田かるた 1977もっこかついでの矢神の穴堰穴堰 - 三本木原開祖新渡戸伝翁が、稲生川掘削工事で最も苦心したのは穴堰(隧道) であった。 穴堰は鞍出山 (矢神)、 段の台山の2か所である。鉄槌と鑿を用いて掘った ずり (土) を、繩で作ったもっ…
十和田かるた 1977ラケットで河野世界一河野満選手 - 河野選手は1977年4月5日、英国のバーミングガムで行われた第34回世界卓球選手権大会男子シングルスで優勝し、その栄光を郷土にもたらした。河野選手が、父・功さんの指導でラケッ トを握っ…
十和田かるた 1977粒々辛苦 稲吉の人々稲吉 - 明治31年(1898年)頃、福島県から40戸の農家が入殖し、稲吉部落を作った。明治35年(1902年)の大冷害のため収穫皆無、逃亡や、北海道に移住するなど、明治37年(1904年)には23 …
十和田かるた 1977ルート4は奥州街道 | 国道4号線奥州街道 - 国道4号線は、元の奥州街道で、現在の東京、青森間を結ぶ国道である。昔は参勤交代の道でもあり、一里ごとに塚があった。十和田地区では真登地、伝法寺、池ノ平の3カ所に一里塚が残 っている。幕府…
十和田かるた 1977歴史に名高い南部駒南部駒 - この地方は、元南部藩の領地で、平安朝末期から名馬の産地として知られている。歴史に名高い、佐々木四郎高綱の愛馬生唼、梶原源太景季の愛馬麿墨は隣村七戸、三戸産の名馬である。戦時中は三本木町 (…