十和田かるた 1977
中部開発 – 十和田市の北部 (中部上北地域)に広がる500haの畑作地帯は、生産性の低い雑穀を中心とした純畑作地帯で、農家の生活は苦しかった。中部上北の南部を東流する砂土路川は三本木原台地の開発に伴い排水は年々増加し、時には大洪水となり被害さえ及ぼすことがあった。この砂土路川の水の再利用により、食糧増産を図るための開発を住民一丸となり国県に働きかけ、10年にも及ぶ運動を行った末、ようやく昭和36年(1961年)県事業として開発に着手した。以来8ケ年の歳月と6億の巨費が投じられ、昭和43年(1968年)、開田事業は完成。この地区は稲作地帯の中心に変貌した。
掲載内容は、昭和52年(1977年)当時の内容です。
現在の状況と異なる場合があります。
当時の情景がわかる歴史的資料としてご参考ください。