十和田かるた 1977
法蓮寺 – 法身国師は鎌倉時代の人で、常陸国、真壁(現在の茨城県)の出身である。彼は宋に渡り、厳しい修業ののち名僧となり、帰国し国師になった臨済禅宗の傑僧で、松島の瑞厳寺の中興の祖として知られている。洞内館主・洞内由之進に迎えられ、法蓮寺の開山となり、数多くの僧俗を教化し、文永10年(1273 年) 遷化した。国道4号線西側 (砂土路 川北方) の「客僧田」と呼ばれている田んぼは、自ら開いた所である。また、田んぼの中にある松の木を「ケサ掛けの松」と呼ぶ。国師が田んぼで働くときにケサをかけたのが名称の起こりである。国師が手植えした銀杏の木 (七戸町倉岡)は見事に樹輪を重ね、県天然記念物に指定されている。
掲載内容は、昭和52年(1977年)当時の内容です。
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