十和田かるた 1977
稲生川 – 安政2年(1855年)、新渡戸伝翁は三本木原開拓のため、稲生川開削の大事業に着手、十和田湖を源水とする奥入瀬川から上水するために2穴堰、4,160mを掘り抜き、陸堰は、矢神と三本木まで、6,147m を掘り上げ、約5年後の安政6年(1859年)5月4日、稲生川上水に成功した。 全長8,388m、十和田市八郷地区で国営幹線水路と合流し、太平洋に注ぐ。 受益地区は十和田市、十和田湖町、六戸町、下田町、百石町、三沢市にわたり、受益農家4,500戸、3,800haの水田の恵みの水となっている。
掲載内容は、昭和52年(1977年)当時の内容です。
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