十和田かるた 1977
松並木 – 万延元年(1860年)、開拓状況を視察した盛岡南部40代藩主・利剛が、用水堰に稲生川、奥州街道に渡した橋を稲生橋、さらに新しくできた街を稲生町と命名し た。 その稲生町の開墾に伴い防風雪などのために植えられたのが、この松並木である。植えた個所は金崎林4か所、小野林10か所、寺向林 5か所、小稲林10か所、 木ノ下林5か所、谷地田向林、初中林2か所、北野平 6か所、瀬戸山 2か所、中山平、物見ヶ森、初田林、赤沼平の合わせて49か所で、当時、新植立林と呼ばれていた。 なお、現在かろうじて残っている個所は官庁街、南小通りなど数か所だけである。この貴重な松並木は街の人々にさわやかな風情と情緒を与え続けており、 永久に保護、補植していきたいものである。
掲載内容は、昭和52年(1977年)当時の内容です。
現在の状況と異なる場合があります。
当時の情景がわかる歴史的資料としてご参考ください。