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1977年発行の“十和田かるた”で辿る、十和田市の自然・歴史・文化 — 奥入瀬川の鮭、南部馬と駒踊り、藤坂農業、旧街道や神社・伝説まで。過去の十和田の暮らしと風景を知る貴重な郷土資料を紹介します。
昭和52年9月15日発行
推せん団体
十和田市教育委員会
十和田商工会議所
企画・制作
十和田市観光協会
掲載内容は、昭和52年(1977年)当時の内容です。現在の状況と異なる場合があります。当時の情景がわかる歴史的資料としてご参考ください。
三本木セリ – 明治18年(1885年
切田神楽 – 下切田は市街地から南方へ
高森山は市の中心地から西方8kmの地点に位置し、標
緑と太陽の街 – 当市は、はるか彼方に
体育施設 – 体育施設といえば普通郊外
八甲田連峰 – 八甲田連峰は、八甲田大
苫米地義三 – 第2次大戦後、連合国の
真登地の一里塚は、十和田市街地から国道4号線を北に
電車は昭和26年(1951年)6月20日に電化され
松並木 – 万延元年(1860年)、開
田園文化都市 – 昭和46年(1971
穴堰 – 三本木原開祖新渡戸伝翁が、稲
河野満選手 – 河野選手は1977年4
稲吉 – 明治31年(1898年)頃、
奥州街道 – 国道4号線は、元の奥州街
南部駒 – この地方は、元南部藩の領地
アーケード – 商店街はその街の「顔」
憩いの家 – お年寄りの方の健康管理や
法蓮寺 – 法身国師は鎌倉時代の人で、
四和ダム – 十和田市最南部を東流する
農協米 – 十和田市は新渡戸伝翁の開拓
梅泉園 – 県下一といわれるこの梅林は
中部開発 – 十和田市の北部 (中部上
白上養魚場 – 相坂養魚場のニジマスは
稲生川 – 安政2年(1855年)、新
つつじ、 赤松 昔は市の山野は、いたるところ、つつ
小笠原八十美 十和田市は昭和10年頃から軍馬の産地
D51 このD51は全国から姿を消した過熱式蒸気機
十和田湖 – 全国有数の観光地である「
太素祭 荒瀑たる三本木原に開拓の鍬を入れられたのが
惣辺牧野 明治18年(1885年)頃、惣辺牧野組合
千歳森の狐 広々とした三本木原野には、狐しかすまな
官庁街 昭和23年三本木町時代に本多町長が、それぞ
三本木稲荷神社 新渡戸伝翁・十次郎・七郎の苦心によ
産馬通り 三本木セリが始まると太素塚境内から現中央
中渡八幡 中渡八幡宮は、南部家総鎮守一之宮櫛引八幡
北里大学 北里大学畜産学部は、昭和41年4月 十和
区画整然 現在の市街地の道路を、碁盤の目のように整
駒踊り 馬産地、十和田市を最も象徴する民俗芸能は南
新渡戸伝翁 新渡戸伝翁は盛岡藩士。 勘定奉行ののち
鼻曲り鮭 南部の鼻曲りで有名な鮭漁業で欠くことので
三農相撲 三本木農業高等学校相撲部は大正時代の末頃
カヤ人形 梅集落は市街地中心から北西約12km の
藤坂試験支場 冷害・凶作の起こりやすい南部地帯 の
備中の墓 赤沼備中は新山神社を勧請し、寺を建て庶民
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