十和田かるた 1977
田園文化都市 – 昭和46年(1971年)10月に市勢発展の基本構想を制定し、昭和60年(1985年)における発展の三本の柱の一つとして「田園文化学園都市」を掲げている。この理想の姿として、生産のための田園と公害のない工場が調和のとれた いわゆる農工併存の好環境のもとで全市民が勉学に勤しみ、かつ教養などを育むことができる、知的文化的水準の高いまちを目標にしている。
掲載内容は、昭和52年(1977年)当時の内容です。
現在の状況と異なる場合があります。
当時の情景がわかる歴史的資料としてご参考ください。